渋沢栄一が一万円札になった理由は?功績や経歴を調査!

こんにちはフクヤです!

大きなニュースが入ってきました!

数年後に紙幣の肖像画が変更されるようです!

1万円札には渋沢栄一という人物の肖像画が採用されることになっています。

ここで

  • 渋沢栄一って誰?
  • なんで選ばれたの?
  • 何した人?

と思った方も多いと思います!

そこで渋沢栄一が一万円札になった理由や功績を調査してみます!

渋沢栄一が一万円札になった理由を調査

それでは渋沢栄一がなぜ一万円札の肖像画に選ばれたのか、その理由を調べていきます!

渋沢栄一の経歴

渋沢栄一(1840年3月16日~1931年11月11日)は江戸時代末期から大正時代初期にかけての武士であり、官僚・実業家でもあります。

現在の埼玉県深谷市血洗島で裕福な農家の家に生まれます。

主君の慶喜が将軍となっったのに伴い幕臣となり、1867年パリで開催された万国博覧会へ視察に行き、その際にヨーロッパの産業や軍備を目の当たりにして感銘を受けます。

帰国後はフランスで学んだ株式会社制度を実践すべくに静岡で商法会所を設立。

その後大蔵省に入省し、度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わったが、予算編成をめぐり大久保利通や大隈重信と対立し退官します。(33歳)

退官後まもなく、第一国立銀行(今のみずほ銀行)の頭取となり、その後も実業家として多くの地方銀行設立を指導しました。

渋沢栄一が設立に携わった会社は

  • 東京瓦斯
  • 東京海上火災保険
  • 王子製紙(現王子製紙・日本製紙)
  • 田園都市(現東京急行電鉄)
  • 秩父セメント(現太平洋セメント)
  • 帝国ホテル
  • 秩父鉄道
  • 京阪電気鉄道
  • 東京証券取引所
  • キリンビール
  • サッポロビール
  • 東洋紡績
  • 大日本製糖
  • 明治製糖
  • 澁澤倉庫

など、500以上となっています。

渋沢栄一が一万円札になった理由は?

渋沢栄一が一万円札になった理由はその大きな功績によるものが大きいと思われますが、

いったいどんな功績があるのか、みてみましょう。

社会活動による功績

渋沢栄一はたいへん社会活動に熱心な実業家でした。

  • 東京市から要請され養育院の院長を務めた
  • 東京慈恵会、日本赤十字社、癩予防協会の設立に携わった
  • 財団法人聖路加国際病院初代理事長、財団法人滝乃川学園初代理事長、YMCA環太平洋連絡会議の日本側議長を務めた
  • 日印協会の設立に携わり第3代会長を務めた
  • 関東大震災後の復興のために、大震災善後会副会長となり寄付金集めなどに奔走
  • 商法講習所(現・一橋大学)、大倉商業学校(現・東京経済大学)の設立に協力
  • 二松學舍(現・二松學舍大学)第3代舎長を務めた
  • 学校法人国士舘の設立と経営に携わった
  • 同志社大学への寄付金の取り纏めに携わった
  • 日本女子大学校・東京女学館の設立に携わった
  • 1931年、中国で起こった水害のために中華民国水災同情会会長を務め義援金を募る

このように多くの社会活動に携わり、1926年と1927年にはノーベル平和賞の候補になっています

政治活動による功績

渋沢栄一は政治家としての顔も持っていました。

1889年~1904年の15年間、深川区会議員を務めて区会議長にも選出され、深川の発展に寄与しました。

第1回衆議院議員総選挙では出馬の意思表明をしなかったにもかかわらず、東京5区(本所区、深川区)にて94票を獲得しました。

1890年9月29日には貴族院議員に勅選されましたが、同年12月15日の第1回帝国議会貴族院本会議に出席したのち一度も出席することはなく、1891年10月29日に辞任しました。

1901年5月16日には井上馨内閣に大蔵大臣としての入閣を求められましたが、これを辞退しています。

このように渋沢栄一は市民や他の政治家からも信頼はあったと考えられますが、政治家としての大きな功績はみられませんでした。

実業家としての功績

渋沢栄一を語るうえで欠かせないのが、実業家としての功績です。

先に述べたように、渋沢栄一は500以上の企業の設立にかかわっています。

その中には

  • 第一国立銀行(現・みずほ銀行)
  • 東京証券取引所
  • キリンビール
  • サッポロビール

といった現在でも続く大企業もあります。

このように日本の過渡期に多種多様な企業の設立・経営に携わったことから渋沢栄一は「日本資本主義の父」とも言われています。

まさに、今の日本があるのは彼による功績がとても大きいと言えるでしょう。

一万円札になった理由は?

ここまで渋沢栄一の

  • 社会活動における功績
  • 政治活動における功績
  • 実業家としての功績

をみてきました。

これらを総合しても一万円になった理由として十分といえます。

しかし、あえて一つ上げるとすれば、実業家としての功績が大きいのではないかと思われます。

日本は戦後の高度成長期に大きな経済的発展を見せますが、この基礎である日本の資本主義経済の基盤を作ったのが渋沢栄一といっても過言ではありません。

彼の功績がなければ、今の私たちの生活は大きく違ったものになっていたに違いありません。

そう言った意味で、彼の実業家としての功績の大きさが評価され、一万円の肖像画になったと考えられるのではないでしょうか。

まとめ

今回は渋沢栄一が一万円札になった理由や功績を調査してみました。

渋沢栄一は特に社会活動や事業家として大きな功績を残していますが、

特に実業家としての功績が大きく、これが一万円になった大きな理由ではないかと考えられます。

紙幣の変更はまだ数年後ということですが、渋沢栄一のことを知ることで、楽しみな気持ちが高まりました!

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